浄安寺は、小笠原長継の菩提を弔うため小笠原政直が建立、山号は正寿山、浄土宗の寺院でございます。寛永17(1640)年、小笠原長次の祖父、小笠原貞慶の従弟、小笠原長継の菩提を弔うため、長男の小笠原政直が建立しました。現在の本堂は文化8(1811)年、舟町の豪商井筒屋勘之助高道の寄進により、再建いたしました。境内には富士紡績で活躍した和田豊治の墓、福沢諭吉が養子になったこともある叔父 中村術平の墓、中津藩の祐筆で書家の磯田崇山、東郭の墓、書家の中村寿山の墓がございます。



浄安寺は、中津藩小笠原家の菩提寺として1640年建立。大涅槃図は、小笠原家から寄贈されたもので、中津藩絵師で豊前海北(かいほう)派の開祖、海北 友倩(ゆうぜい)の1690年の作品。縦2.8メートル、横2メートルの大作で、入滅する釈迦の周りで嘆く弟子たちや空に現れる麻耶夫人などが描かれています。

![]() 「阿弥陀如来」 掛け軸 |
![]() 小笠原長継公 |
![]() 「維摩居土」 海北友雪作 |
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![]() 浄安寺 本堂 ご本尊阿弥陀如来は約900年前の平安時代の作 |